ろっくんの3大欲求

頭の中はピンク。

この優しい時代では、自分が始めなければ、何も始まらない。

お題「自由を感じた瞬間」

 

令和は、個人の意思を尊重する、自由で優しい時代だ。

 

優しい飲み会はその代表例だ。

 

一杯目の強制ビールは減り、アルコールの強要は少なくなった(完全に無くなったとはいえないが、アルハラへの風当たりは厳しくなった)。

 

そして、飲み会に行きたくなければ、行かない自由がある。飲み会への参加が義務ではなく権利になったからだ。

 

人付き合いが苦手な人にとっては願ったり叶ったりだろう。

 

僕は人付き合いが苦手なわけではないので、飲み会に行くのは苦ではない。しかし、ビールは苦手なので、一杯目にハイボールを頼めることをありがたく思っている。

 

 

 

 

優しくなったのは飲み会だけではない。食事、趣味、ファッション……。様々な領域で個々人の自由意思が尊重されている。

 

基本的に僕はこの傾向を歓迎している。優しい世界では自分がやりたくないことはやらなくていい。不快なことはなるべく避けたいのが人間だ。

 

しかし、優しい世界には一つ問題点があるとも思う。

 

それは、何かを始めるきっかけが減ることだ。

 

強制されないということは、自分が始めるまで始まらないことを意味する。

 

つまり、何か新しいことを始めるには、自分から動き出さなくてはならない。そして、自分から動くというのはかなりエネルギーがいることだ。

 

初めて何かをするというのは、必ずしも楽しいことばかりではなく、不快感や居心地の悪さを覚えることだってある

 

 

 

 

 

不快感や居心地の悪さを乗り越えるエネルギーは、誰しもが備えているわけではない。

 

自分のやりたいことがはっきりしておらず、しかも奥手な人は、自身をすり減らすような思いをするかもしれない。

 

もちろん、誰かに誘われて何かを始めるということはあり得る。

 

しかし、誰も強制しない

 

例えば、知り合いが僕を遊びに誘い、僕の反応が微妙だった場合は、知り合いは「僕が行きたくないのかも」と思い、僕に配慮して誘うのをやめる。

 

本当は、僕自身がやりたいか、やりたくないか、分からないだけかもしれないのに。

 

 

 

優しい時代では、自由が手に入るが、その自由をどうするかは個人に委ねられている。

 

優しい時代では、自分が始めなければ、何も始まらない

優しい時代は逆説的に、僕たちに厳しい試練を与えている。

俺は街中にハナクソを飛ばさないと誓い、君とちゃんとお別れをした

お題「私の誰にも言えない変な癖」

スーパーからの帰り道に、くしゃみを一つ。

あれ、風邪気味かな……?

なんだか鼻がずっとムズムズする……。

 

 

 

いや、これは……ハナクソだ!


ハナクソが詰まっている!

いや、その詰まりが今まさに取れようとしている!

 

かろうじて鼻の壁にしがみついたハナクソだ!

ハナクソのクソ野郎だ!

 

今にも壁からその手を離そうとしている!

 

存在そのものが忌避される不遇の時代に、君はあまつさえ自ら巣を飛び立とうとしているというのか!

 

なんて気の毒な奴なんだ!

その手を離すことは勇気でもなんでもない。

大人しく君の家に帰るんだ。

 

俺は街中にハナクソを飛ばすような真似は絶対にしない。

しない、させない、許さない!

 

 

 

君の目論見は失敗に終わる。

なぜなら俺には常識があるから。

 

俺は急がない。

息が切れてハナクソが飛んでしまうから。

 

俺は美女を探さない。

鼻息が荒れてハナクソが飛んでしまうから。

 

俺はスィゅ……

スリットが入ったスカートだと……?

ロングなのに、太ももまで……?

 

 

<<中略>>

 

 

ふぅ、ようやく家に着いた。
短い間だったが君には感謝している。
素敵な出会いもあったしね。

 

でももうさよならだ。

 

 

 

そんなに悲しい顔をするなよ。
俺が悪いみたいじゃないか。

 

悪いのは俺じゃなくて世間さ。

世間が君と僕が一緒にいることを許してくれないのさ。

飛んでも、飛ばなくてもね。

 

世間って誰かって?

 

 

 

僕のなかの皆のことさ。

 

まるでパパラッチ。

どこまでもついて来る。

 

無駄話もここまで。じゃあね。

また会う日まで。

 

 

 

ズギューン